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クモハユニ64000が完成しました

64000 毎度ご乗車ありがとうございます。

 前々から作りたかったクモハユニ64000が本日どうにか完成いたしました。と言いましても毎度のことながらかなりデフォルメ&省略(=手抜き)をしていますので、クモハユニ64000タイプ、と言ったほうがいいかも知れませんが(笑)

 車体はGMのキットの寄せ集めです。側面はクモハユニ44とクモハ51、荷物室側の妻板はクハユニ56、非パンタ側はクハ55のパーツを使用しました。クハユニの前面はサボ受を削り取ったほか、運転席の窓にクハ55のHゴム化された窓をはめ込んでみたのですが、腕の悪さから今一つ雰囲気が出せませんでした。屋根はクハユニ56のものを使用しましたが、2~3mmほど長さが足りませんでしたので一旦2つに切断し、すき間はパテで強引に埋めて整形しました。下まわりはGMの動力ユニット(DT13)を使用しました。

Photo Photo_2  で、早速試運転を行いました。

 以前製作したクハ68やクモハ42を従えて、同じスカ色の横須賀線70系や身延線のクモハ14などと共演しました。なかなか調子よく走ってくれました。

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コメント

京洛電軌さん、こんばんは。

クモハユニの竣工おめでとうございます。
飯田線での晩節の姿ですね。クハユニともども同線では、おなじみの車両です。郵便、荷物輸送。とくに山間の谷間の集落にあっては、まさに生活を運んでいた生命線でしたね。
茶色時代のクモハユニのロングシートに揺られて、その山間部をたどったことがあります。小さな駅にも駅員の姿があってタブレット交換、そして郵便小荷物の受け渡し。道路事情がよくないこの地区にとっては、かけがえのない存在だったのでしょう。古き国鉄時代の残照のような光景が蘇ってきます。
スカ色の旧型国電が去ってから25年近く。この山間から遠ざかっています。道路が良くなっているのか、あるいは過疎化が進んでしまっているのか~。ツリカケモーターと清流の音だけが今でも耳に残っています。

投稿: クハ55071 | 2007年10月30日 (火) 00時52分

クハ55071さんこんばんは。
 飯田線は私も子供の頃一度だけ訪れたことがありました。その時はこのクモハユニ64000は見ませんでしたが、たまたま自分が乗った列車の最後尾がクハユニ56で、あわててカメラを向けたのを憶えています。また飯田線といえばクモハ52ですが、こちらは走ってる列車から見えたものの、満員でカメラを向けられず残念な思いをしました。その後チャレンジ20,000kmがブームだった頃に辰野から豊橋まで完乗しましたが、その時には旧型国電はなくなっていました。
 ところでクモハユニ64000は飯田線時代も茶色だったのですか? これは知りませんでした。実は模型製作にあたっては実車の資料がほとんどなくて、TMSの記事を参考にしました。手元にある『国鉄電車ガイドブック』には岡山時代の写真が掲載されています。
 

投稿: 京洛電軌 | 2007年10月31日 (水) 22時16分

京洛電軌さん、こんばんは。

クモハユニ64000ですが、S53.8.8に静岡から飯田線に転入したようです。「JR電車編成表'97冬号」より。
転入当初は茶色で運用され、S54~56年ごろに茶色の同車に乗ったり撮ったりしています。晩年はスカ色に塗り替えられ、S58.6の置き換えまで運用されていました。客室寄りの前面貫通扉は岡山時代に開けられたようです。飯田線スカ色時代はクハ68412と組んでいたようですね。「同編成表」より。

投稿: クハ55071 | 2007年11月 1日 (木) 00時47分

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