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金閣寺行き急行(京都市電の思い出話)

Sa270996 Sa270994Sa270995                  毎度ご乗車ありがとうございます。

 今日は久しぶりにレイアウトの写真を載せてみました(画像が不鮮明な点はご容赦下さい――何分携帯のカメラで撮りましたので)

 で、今日は私の本領(?)である市電の話をしてみたいと思います。

 昭和49年3月末で烏丸線が廃止されると、京都駅前の市電乗り場は縮小整理され、それまで別々の乗り場から発車していた④系統と⑥系統は同じ乗り場からそれぞれ西大路通、東大路通を経由して烏丸車庫へ向かうようになりました。でも乗客の乗り間違いを防ぐため、京都駅前を出る時の行先はそれぞれ「金閣寺」「百万遍」で、七条通を走行中に方向幕を「烏丸車庫」に変えていました。

 ところで、京都市電では昭和37年以降、平日の朝7時から9時まで急行運転をやってたんですね。路面電車の急行運転は名鉄の岐阜市内線などにもありましたが、京都市電の場合はこの時間帯のすべての電車が急行になるので、急行の停まらない停留所は利用できませんでした。急行運転中の市電は系統板の他に白地に赤で「急」と書かれた円板を掲げていて、先ほどの④系統と⑥系統もこの急行マークをつけてそれぞれ金閣寺行き、百万遍行きとして京都駅前を出発していました。

 ところが最近になって、私はとんでもないことに気がつきました。

 実は金閣寺前って、急行通過停留所だったんですね。にもかかわらず京都駅前を出る④系統は、急行マークを付けた上に方向幕を「金閣寺」で出発していたんですね。これで乗客から苦情やトラブルはなかったんでしょうか? 遠い昔の話とはいえ、妙に気になっています。当時の状況に詳しい方々からご教示いただければ幸いです。

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コメント

京洛電軌さん、こんばんは。

う~ん、おっしゃる通り変な感じですね。当時は何も考えずに「金閣寺」ゆき急行を何カットか撮ってました。もっとも西大路四条で撮ったのは「烏丸車庫」に変わってましたが。
この「金閣寺」ゆき急行も変ですが、そもそも、この急行運転自体が変わったシステムですよね。京洛電軌さんも触れておられますが。
まず、全部の電車を急行にしてしまう事。平日ラッシュ時には急行通過停留所からは乗れませんし、ラッシュの緩和にはなりますが。電車の速度は上がり、配車効率は良くなり車両数、乗務員数は少なくて済みます。つまりラッシュ輸送の波動が少なくなりますから、事業者にとってはやりやすいのかもしれません。
それと、時間制の急行運転であった事。つまり9時になると全ての電車が普通に戻ります。終点に着かなくともです。信号待ちの時でも運転手が急行板を収納し、車内放送テープのスイッチを急行から普通に切り替えるだけです。ですから、京都駅前を8時半過ぎ以降に出た急行は、途中で普通に変わり、無事に金閣寺前に停車することになりますね。
こんな運転システムでもブーイングは出なかったようですね。もっとも平日朝は市電で金閣寺へ行く観光客もいなかったようですし、市電愛好家以外はそれほど市電に構っていなかったようなドライな雰囲気があったようです。
まあ、方向幕も停留所名でなく、方面表示としていたのかもしれませんが、このへんは当時に詳しい方のご教示をお願いしたいところです。

投稿: クハ55071 | 2007年10月26日 (金) 00時51分

クハ55071さんこんばんは。確かに今思うと市電の急行運転は妙なシステムでしたね。区間によってはかなりの距離を無停車で走る所もありましたし(たとえば円町~白梅町はノンストップでしたし、河原町今出川~洛北高校前間では糺の森のみ停車でした)。交通局には都合よかったかも知れませんが、急行通過停留所を利用する人はこのためにバスに流れてしまい、市電の乗客減に拍車をかけたのではないでしょうか。かういう私も中学時代、最寄りの停留所が急行通過だったので、登校時はいつもバスを利用していました。

投稿: 京洛電軌 | 2007年10月27日 (土) 21時28分

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