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昔の写真で失礼します

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Sa270988毎度ご乗車ありがとうございます。

 クハ55071さんのコメントで、三条駅の話がありましたので、ここでちょっと昔の話をしてみたいと思います。

 クハ55071さんが三条駅2番線から普通宇治行きに乗られたのは、あながち記憶違いではないと思われます。と言いますのも、昔(おそらく昭和45年以前)2番線では特急の合間をぬって普通が発着していたのを私も見たことがあります。当時の2番線は中央部が3番線への連絡通路になっていて、特急が入線していない時は自由に行き来できましたが、4輌編成の普通はこの連絡通路の手前(大阪寄り)に停車していました。今日添付しました写真は1975年頃撮影したものですが、三条2番線に停車中の2000系と、同じく2番線に進入する2400系急行です。たぶん2000系は車輌の入れ替えで、2400系急行は臨時特急運転の兼ね合いで2番線に入ったものとおもわれます。それから3枚目の写真は完全なオマケですが、今年の6月に淀屋橋で撮影した香里園行き準急です(こういう写真、個人的に好きでちょくちょく撮ってます…笑)

 それでは皆様、またなにか昔の京阪の情報がありましたらよろしくお願いします。

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実車の話」カテゴリの記事

コメント

早朝からお邪魔致します。

三条駅の普通宇治ゆきが発車したホームの話、京洛電軌さんのご記憶より10年ほど後の話になりますが、1982年当時(地下化工事の関係で1番線が閉鎖されていた時期)のことを、手許にあるネガ(「4番のりば発車時刻表」というホームにあった立て看板を写してました)で調べてみました。

当時は、2番線発の普通が相当数あったようです(2番・3番のいずれだったかは記録していませんが、3番はほぼ終日急行が独占していた印象がありますので)。

平日ダイヤですと、9時台~16時台の普通は8本/時の全てが4番線発でしたが、朝に4番線を最初に発車する宇治ゆきは8:23発。一方で、夕方は17時~20時頃の淀屋橋ゆきが4番線に現れないダイヤになっていたようです。

同じネガには、朝の天満橋発4連普通が2番線の構内踏切を跨ぐところまで入って止まり、(確か車内通り抜けを設定せずに)慌しく淀屋橋ゆきで折り返していく光景の組写真(?)が残っていました。

そういえば、深夜に使われる「寝屋川市」「守口市」のサボは、2・3番ホームに置いてあった印象が強いです(4番線発の寝屋川市ゆきも、2本あったようですが)。

最近の話ですので、皆さんよくご存知かもしれませんし、1番線が無いという特殊な時期の話ですが、少しでもご参考になれば幸いです。
(最近といっても、、、、もう25年前の話かぁ。)

投稿: 吊掛急行A773 | 2007年10月 7日 (日) 03時39分

連続ですみません。
ひょっとすると(いや、確か orz)、当時の「京阪時刻表」を見れば三条駅の発車ホームが出ていたような気がします。ならば 上記は全て一発で分かる話、、、。すみません、今 手許に「京阪時刻表」が無いもので、、、、失礼しました。

投稿: 吊掛急行A773 | 2007年10月 7日 (日) 03時55分

みなさん、おはようございます。
昔の三条駅の情景、なつかしく蘇ってきます。昭和50年ごろの記憶になりますが、15分サイクル運転時間帯の特急は七条で対向していましたし、急行もそうでしたから、2番3番ホームに空き時間があり、これを有効に使っていたようですね。鴨川と疎水にはさまれたターミナルでしたが、京阪らしいキメ細かな工夫が見られました。発車はベルではなくて、上品なメロディーを使っていましたし、1番3番ホーム用と2番4番ホーム用のメロディーを使い分けていました。
京洛電軌さんが撮影された2番ホームに進入する2400系急行ですが、下り臨時特急への差し替えでしょうね。このシーンはよく見に行っていました。前面貫通路をこじ開け、鳩マークの取り付け。この鳩マーク、けっこう重いのです。折り返し間合いはあまり無く、あわただしい作業でした。3番ホームにはウマ急から化けた2200系急行がスタンバイしていたように記憶しています。
インフラも今と比べればハンディーがありましたが、600V時代は車両性能や特性も微妙に異なっており、それらを非常に細かく使い分けていたように思います。

投稿: クハ55071 | 2007年10月 7日 (日) 11時29分

みなさん こんばんは
三条駅の写真ありがとうございます。地下線開通から20年もたつと記憶も薄れていきます。駅構内のおみやげ店街や構内の水のまかれたコンクリート床、1975年は小学生でした。
600V時代は7連車でも1000系と2400系は共通・2200系や5000系は単独で運用されていたような記憶があります。停止位置も7連の場合7と七があり1700系などは七位置に停められていたように思います。

投稿: ぴおちゃん | 2007年10月 7日 (日) 21時03分

みなさんこんばんは。
 今昔のポケット時刻表を見ながら書いています。
 昭和56年12月改正の時刻表によりますと、吊掛急行A773さんのおっしゃる通り日中の普通はすべて4番線からの発車ですね。夕方の宇治急が出る時間帯の淀屋橋行き普通は全て2番線からの発車になっています。また23:11発の守口市行きは3番線からの発車だったんですね。
 今手元にあるポケット時刻表で一番古いのは昭和50年3月改正のものですが、これには4番線発車だけが記されていますね(ただし昼間時間帯は省略)。ところで昭和51年9月改正の宇治駅の時刻表を見ますと、18時台に深草行きが3本出ているんですね。この列車の運行標識って「宇治・深草」だったのでしょうか。それとも「深草」だけだったのでしょうか。ご存知の方がいらっしゃいましたらお願いします。

投稿: 京洛電軌 | 2007年10月 7日 (日) 23時17分

おはようございます。

京洛電軌さま>
宇治→深草ですが、1982年京阪時刻表でも平日・土休各2本設定されていました。
その当時では、表側が深草・受側は宇治でした。片面両駅表示は、区間急行の裏面になるのを除いて70年代の早い時期に消えたのではないでしょうか。

投稿: ぴおちゃん | 2007年10月 8日 (月) 09時34分

ぴおちゃんさんこんばんは。情報ありがとうございました。片面両駅表示ですが、1973~1975年頃には「深草・三条」「中書島・三条」「中書島・深草」「中書島・宇治」があったのを憶えています。これらの表示がいつ頃なくなったのかは覚えていませんが、1970年代後半には石坂線の運行標識が片面両駅でなくなりましたね。

投稿: 京洛電軌 | 2007年10月 8日 (月) 21時49分

みなさん、こんにちは。

宇治発の深草ゆきがあったのは初めて知りました。深草からみのサボは撮れずに終わりました。深草~淀屋橋間の準急があったような気もしますが。
「三条 中書島」併記のサボですが、S51に1803号で撮っていました。上り宇治急の折り返し運用でした。ぴおちゃんさんがおっしゃるように1300系末期のネガにはでかく「中書島」だけのサボになっていました。
「淀」ひと文字のサボも面白かったですね。朝の下りで2456F改修前に撮りましたが、淀到着後は引き込み線に入った後にふたたび入線、急行の通過を待って、淀発淀屋橋ゆき準急になりました。けっこう手のこんだやりくりですが、準急は急行を待避させないためでしょうか。

投稿: クハ55071 | 2007年10月 9日 (火) 15時22分

たびたび失礼します。

先ほどの書き込みで淀発淀屋橋ゆき準急ですが、たしか5000系の運用だったような気がします。2400系はたまたま代走だったのでしょうか。急行待避うんぬんは関係ないようです。一旦引きあげるのは3扉から5扉への設定変更だったのかもしれませんが、イマイチよくわかりません。京阪線の朝ラッシュは10年以上ごぶさたしてます。

投稿: クハ55071 | 2007年10月 9日 (火) 17時38分

クハ55071さんこんばんは。
「三条・中書島」の普通は私も四条で撮影したことがあります(1700系でした)。「深草・三条」は日曜の午前中に偶然五条でゲットしたことがありました。「淀屋橋・深草」の準急ですが、淀屋橋発23:50が1本だけ設定されてました。時間が時間だけに列車は見たことがありませんが、マークは淀屋橋で見たことがあります。昭和52年7月改正のポケット時刻表によりますと、京橋23:56、香里園0:10、枚方市0:17、樟葉0:26になっています。おそらく深草には0:50頃に到着していたのではないでしょうか。ちなみに深草→淀屋橋の設定はなかったようです。

投稿: 京洛電軌 | 2007年10月 9日 (火) 23時29分

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