紙屋川線の謎(京都市電の思い出話)
中田安治著『路面電車――消えゆく市民の足』(保育社カラーブックス)の中に、こんな記述があります。
京都は戦災にもあわず、戦後になって白川、下鴨、紙屋川線が開通し、京都市電最良の時代を迎えた――
白川線とは昭和29年3月1日に開通した銀閣寺道~天王町間のこと、下鴨線は昭和31年10月12日に開通した河原町今出川~洛北高校前間だということは、当時小学生だった私にもわかりました。ところが紙屋川線だけはどこのことなのかさっぱりわからず、それが却って子供ながらに好奇心をそそられました。
そこで友人と京都市の地図を見ていたら、千本北大路の西側に紙屋川という小さな川があるのを見つけたんです。ということはこの川沿いの道を通っていたのではないか――そう考えた私と友人が出した結論は、千本北大路から南木の畑町、土天井町を経て源光庵に至るというルートでした。そして地図を見た限りではそんなに人がたくさん住んでいるような場所とは思えなかったため、開通してもすぐに廃止になったんだろう――と私たちは勝手に思い込んでいました。
真相がわかったのはそれから間もなくでした。小学校の図書室で、題名は忘れましたが京都市の歴史の本を読んでいたら、そこに市電の話が出ていたんです。そうしたら昭和33年に北野紙屋川町~白梅町間が開通って書いてあったんですね。この区間は実際には今出川線の一部なんですが、これこそが「紙屋川線」だったんです。
余談ですが市電が全廃になって何年もたってから、私は子供の頃紙屋川線が通っていたと考えていた道を初めて
歩きました。なんとバス1台がやっとこさ通れるぐらいの狭い道で、おまけに坂もきつく、とても電車が通れる道ではありませんでした。
というわけで今日の写真は昭和50年頃に北野で撮影した1600型です。
追記;つい先日、十何年かぶりに紙屋川線が通っていたと思っていた道を訪れました。新たに添付した写真は源光庵前から見たその道路です。どう考えても市電が走るのは無理ですよね。
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コメント
おはようございます
市電のこの区間の延長の件ですが、関連する記事が最近さる掲示板にありましたので要約します。著者は知人なのでご心配なく。私も全く知らない世界でした。
かって京福北野線は白梅町で市電西大路線と平面交差し、今出川通りを専用軌道で数百メートル東進し北野駅まで運転しており、駅を出ると道(御前通り)を挟んで向こう側には北野天満宮の杜が広がっていました。100m程で杜を抜けると中立売り通りで、通りに面して一の鳥居があり、N電の下の森とかいう電停がありました。N電は北進すると程なく今出川通りを渡って終点北野。南進すると中立売通りはすぐに左に折れて東西の通りとなり、北野車庫前でした。
構内は結構ゆったりしており、島式ホーム(だったかなー?)の2線に加え、別途貨物線のようなものが1線あり、時折濃緑一色の電動貨車(フモ501)が止まっているのを見かけました。
残念なことに千本今出川から少しずつ西進してきた市電今出川線が最後に残った区間、紙屋川橋~白梅町間を開通させるとき、嵐電は北野~白梅町間を廃止し、現在の北野白梅町駅が建てられました。
投稿 ぴおちゃん | 2008年4月22日 (火) 06時46分
ぴおちゃん様こんばんは。
コメントありがとうございます。
この区間を市電が延長した際、嵐電の重複区間が廃止になったことは私も後年知りました。それにしてもわざわざ嵐電を立ち退かせて延長した路線を、それから20年もたたないうちに廃止するとは何とももったいない話ですね。
今年は京都市電が全廃になって30年になります。拙ブログでも市電の話をちょこちょこやっていこうと思っています。
投稿 京洛電軌 | 2008年4月22日 (火) 22時08分