« 中之島線初乗車記 | トップページ | アクシデント発生!! »

京阪2000型、4輌運転開始しました

003 004 009

毎度ご乗車ありがとうございます。

 10月28日にちょこっと紹介した京阪2000型の中間車がこのほど完成しました。これにより完成後ずっと準休車状態だった遊々倶楽部の2000型も本格運用に入れるようになりました。今のところは普通運用ですが、ゆくゆくは先頭車2輌を増備して、6輌でかつての「天ケ瀬号(淀屋橋~宇治間臨急)」なんかを再現したいですね。

 以前のブログでもお話した通り、今回はモノコックボディなのでペーパーで製作しましたが、使用したのは何とデジカメの写真用紙の仕切り板になってたボール紙(!) 全くの廃物利用です。でも内部の補強などをしっかりやっておけばプラとほとんど変わらない強度が得られました。塗装のほうも特に問題はなかったようで、まずは一安心しています。

 最後になりましたが、この2000型を製作するにあたり、以前鉄パパ様から送って頂きました車輌竣工図表を参考にさせていただきました。どうもありがとうございました。

|

« 中之島線初乗車記 | トップページ | アクシデント発生!! »

京阪の模型」カテゴリの記事

コメント

製作、お疲れ様でした!

どんな電車でも3連と4連では結構雰囲気変わりますよね!


自分の方も近鉄18200系が最終段階に入ったので、そろそろフルスクラッチの段取りをはじめていこうとか考えています。

投稿: MKC | 2008年11月21日 (金) 22時33分

MKC様;
 こんばんは。コメントありがとうございます。
 そうですね。もともと6連を目指していたのですが、このまま4連での運用もいいかも知れませんね。あるいはこれとは別に、2000型の6連を作ってもいいかななんて考えてます(完成はいつになるかわかりませんが……)

投稿: 京洛電軌 | 2008年11月24日 (月) 22時35分

2000系の本格運用おめでとうございます。小学校時代に京阪見物をしていた当時の定番でしたから、やはりこれがないと…といった感じです。普通では見飽きるほどでしたが、夕方の宇治急に4連で入っていたのを覚えています。天ヶ瀬号もワンカット撮影してました。ぼぼ晩年になりますが2027Fが7連を組んでいて本線急行にしばしば入っていたのが印象的でした。

投稿: クハ55071 | 2008年11月27日 (木) 18時19分

 2027Fといえば確かあの頃2000型唯一の7連だったように思います。急行運用の他、大阪寄りでは区間急行などにも入っていましたね。天ケ瀬号は私も撮影に行きましたが、宇治線に6連が入線したのが印象的でした。当時の宇治駅は6輌編成が停車できるホーム長があったのか、今更ながら気になるところです(ちなみに現在の宇治駅は5輌編成しか停車できません)

投稿: 京洛電軌 | 2008年11月27日 (木) 22時52分

いやぁ、懐かしいですね、2027-2028の7連。
私も小学生当時に「1300系最後の本線通し普通(5連)」「天ヶ瀬号」などと合わせて追っ掛けた記憶があります。昭和49年-50年ごろのことです。
この編成、中間に入っていた「もと先頭車」にはヒンジ式の貫通扉が残ったままで(色は両面とも車内色になっており、車番も外されていましたが)、合図ベル(チン・チンのあれです。ちょっと音色が濁っていました)も生きているという異色のクルマが入っていて、そう、枚方区急で見掛けたりしたら、わざと急行を見送って乗ったものです。陣取るのは、勿論「もと運転台」のスペース。

投稿: 吊掛急行A773 | 2008年11月28日 (金) 00時09分

こんばんは。
2027Fなるほどマニアックな編成だったのですね。何度か急行で乗ってますが、そこまでは注目していませんでしたが。2000系に限らず、撤去運転台部分にはよく陣取ってました。中間に先頭車や元先頭車がごちゃごちゃ入っているのが当時の京阪らしさで、今となっては模型の格好のアイテムになりそうですね。
後の花博の頃、2600系が8連もしくは7連で本線優等運用に入り2027Fを彷彿させてくれました。ひらかた大菊人形の副標を掲げた前幌付き8連急行も魅力的でしたが、正月の7連臨時特急も話題の的でした。
宇治線の6連はどうしていたのでしょう。何駅かは通過だったと思いますが宇治駅は記憶にないですゎ(^_^;)

投稿: クハ55071 | 2008年11月28日 (金) 20時30分

こんばんは;
 撤去運転台には私もよく陣取りましたね。今でも2600型に元先頭車が残っていますが、2000型の頃は元乗務員扉の窓が開けられたのを憶えています。
 天ケ瀬号は宇治線内は六地蔵のみ停車だったように思うのですが、同駅のホームも5連分しかない(しかも後にホームを短縮したような痕跡も見当たらない)ので、ひょっとすると宇治までノンストップだったのかも知れませんね。

投稿: 京洛電軌 | 2008年11月28日 (金) 23時18分

すみません、もう少しだけ「もと運転台」の思い出話にお付き合いください。淀屋橋・御殿山間を通学で利用していた時期の、アホな話です。

今はどうなのか分かりませんが、私の記憶にある「運転台簡易撤去跡」の(もと)乗務員扉の窓は、上から三分の一程度しか開かないようにされていましたが、それは私の身長で何とかアゴから上を窓の外に出せる高さでした。

で、淀屋橋で樟葉準急や三条急行を待っていて「もと運転台あり」の編成が来た時には、空席を通り過ぎてその川側に乗り込んだものです。

目的は、、、、、、京橋をはじめとした混雑する駅での閉扉タイミングの見事さを味わうこと。特に混雑する「三条急行」(余談ですが、1980年代半ばは、19時台になると急行は「京橋を出ますとぉ、次はぁ、寝屋川市までぇ、停まりません」の時代でした。淀屋橋での「3番線にまいります電車はぁ、19時2分発ぅ、守口市・枚方公園 最終停車のぉ、三条ゆきぃ 急行です」の肉声アナウンスが今も忘れられません。19時1分発、だったかもしれません)の京橋での光景が見たかったのです。
素人目には「いつ閉扉出来るんやろか?」と思えるほどの混雑なのですが、閉扉されると多少の時間差をもって7つの側灯がパッ、パッ、と消える、、、、見事な光景でした。
今にして思えば、チョコっと出たアタマ(<---アホな私のアタマ)が閉扉の決心を鈍らせてしまっていたのかもしれません。

個人的な思い出話で、長々とすみません。少しでも、光景をご想像いただけると、嬉しいです。

投稿: 吊掛急行A773 | 2008年11月29日 (土) 00時16分

吊掛急行A773様;
 こんにちは。懐かしい思い出ですね。貴殿のコメントで思い出したのですが、確かにあの窓は上から3分の1ぐらいしか開きませんでしたね。そのため子供心に下まで開いたらいいのにと思ったものでした。ちなみに現在の2600型のそれは完全に固定化されているようですね。

投稿: 京洛電軌 | 2008年12月 2日 (火) 16時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 京阪2000型、4輌運転開始しました:

« 中之島線初乗車記 | トップページ | アクシデント発生!! »