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2009年2月

京都市電800型を製作しました

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 遅々として進まない新線建設ですが、このいつ完成するかわからない(?)路線用に京都市電800型を製作いたしました。

 プロトタイプは京都市電初の間接制御車として製造された866~880のグループで、これ以前に製造された800型と違って側面中央部のたれ下がりがないのが特徴です。またこのグループは後に集電装置がZパンタになったのも特徴で、このZパンタ付きの車輌がほしかったのが製作のきっかけでした。

 車体の製作は毎度おなじみの(?)プラ板・バルサによるフルスクラッチですが、今回は以前1800型を製作した時に省略した救助網も再現してみました。救助網の製作については以前から何かいい方法ははいものかとずっと考え続けていたのですが、先日京都市内の模型店で面白いものを見つけました。1/144ジオラマ用エッチングパーツのノーマルフェンスで、形状が何となく京都市電の救助網に似ていると思ったので購入してみました。2枚目の写真がこのフェンスを折り曲げて取り付けたところですが、一応はそれらしい雰囲気を出すことができました。

 下まわりはKATOのBトレ用を使うつもりでしたが、車体幅が合わなかったためMODEMOの江ノ電の下まわりを流用しました。正直路面電車にしては腰高なのが気になるのですが、現状では致し方ないですね。あと塗装は安易に(?)GMの国鉄緑2号とクリーム色1号を使用しました。いずれもプラ用塗料なので京阪の車輌のように車体のゆがみを心配する必要はなさそうです。

 どうにか完成させた800型ですが、前面の通風口の表現など課題はいろいろ残っています。次は700型にもチャレンジしてみたいですね。

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GM客車のリニューアルを再開しました

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 去年尻切れトンボ(?)の状態で終わってしまったGMの客車キットのリニューアルをこのほど再開いたしました。その第一弾として去る21日にオハフ61を、そして本日オハネフ12を更新いたしました。

 いずれもGMの初期のキットを素組みしたもので、車体は一応塗装済みなのですが、床下はウェイトを兼ねたダイカストがむき出しになったままでした。そのうえ窓ガラスは入っていないしベンチレーターはゆがんでいるし、とても運転に出せる状態ではありませんでした。

 そこで車体を一旦バラしてベンチレーター等をつけ直し、床下を黒で塗装、さらに上まわりも新たに塗装した後オハネフの窓枠には銀を入れてみました。この他10系寝台車は4輌ばかりありますが、3月中には全てリニューアルして急行「きたぐに」を再現したいと思っています。

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今出川通のLRT私感

毎度ご乗車ありがとうございます。

 昨日の京都新聞に、今出川通でのLRT運行に関する研究報告書が京都市長に提出されたという記事が出ていました。

 今出川通にLRTを走らせようという話はもうずいぶん前から議論されていて、バスを使った実験運行もされたことがありました。しかしながら反対意見や採算面などで疑問視する声も多く、現在のところ、実現の見通しは全くたっていません。

「京都・今出川通りにLRTの実現を推進する会(新今電会)」ではこうした意見に対してかなり具体的な解決策を提案されています。私自身、京都市内にLRTを導入することは基本的に賛成ですが、はっきり言って現状では実現は限りなく不可能に近いと思っています。

 その最大の理由は、京都の街が車に対して非常に甘いと思うからなんですね。正月に広島へ行った時ですが、交差点で右折の車が軌道上にはみ出してきても、広電は全くひるまずに警笛を鳴らしながら突っ込んでいくんですね。車のほうを強制的にバックさせてるんです。ところが京都のバスの運転手はというと、法律上は直進車優先にもかかわらず交差点で右折の自家用車に道を譲ったりしている。実に情けない話だと思います。広島で感じたのですが、向こうは公共の乗り物と自家用車の間に上下関係のようなものがあるように思います。一方京都はというと、公共の乗り物も自家用車も対等の立場で議論しているのではないでしょうか。今出川通は狭い道です。ここに路面電車を走らせたら車の邪魔になるのは当然です。でもそれをどうこう言っていたらいつまでたっても実現することはないでしょう。

 京都の人の間では「路面電車は古い乗り物」という考えがまだまだ根強く残っているように思います。この意識を根本的に変えない限り、いくら議論しても永遠にLRTは実現しないでしょう。また本当に導入しようとするなら、車に対してもっと強硬な姿勢で臨むことが必要だと思います。

 長々と書いてきましたが、今日の写真は製作中の京都市電800型です。

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木津と亀山のSL

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 先日、クハ55071さんのコメントで関西本線のSLの話がありましたが、今日は私が昔見に行った関西本線のSLの話をしてみたいと思います。昭和48年9月の話です。

 関西本線からSLがなくなる――そんな噂を聞いて、何の予備知識もなく京都から奈良線のディーゼルカー(まだ電化されていませんでした)でひとまず木津へ。ホームに出ると、反対側に貨物列車が停まっていました。そして何気なくその貨物列車の先頭を見ると、なんとD51だったんですね。あの時の感動は今でもはっきり憶えています。それから木津駅の駅員に尋ねてSLの情報なんかを教えてもらい、撮影したのが今回のD51の写真でした。

 そのあとキハ35型2連の普通で亀山へ。ここでもD51がいたほか、C58が入れ換え作業をしていたのが印象的でした。また今回写真は載せませんでしたがここではC57にも遭遇しました。亀山からは普通列車で名古屋に出て、新幹線で京都に戻ったのですが、この時の普通はなんと旧型の客車列車でした。ただ牽引していたのはSLでなくDD51でしたが……。

 クハ55071さんのコメントにもありましたが、私もこの時の印象が強いせいか、関西本線というとキハ35を思い出します。また私は見たことがないのですが、電化前の湊町~奈良間で、キハ35系による快速があって、現在の大和路快速とさほど変わらない俊足だったそうです。これを模型で再現したいと思っているのですが、中古でもなかなかキットは見つからないですね。(完成品があるじゃん!なんて意見も出そうですが、それはちょっと……笑)

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京阪700型を増備します

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 今日は祝日でしたが、どこへも行かず一日中模型をいじっておりました(笑)

 今年は京阪の急行用の編成を製作したいと思っていて、先月末から700型の製作を始めていましたが、本日その1輌目がほぼ完成いたしました。主な製作方法は去年2000型を作った時と同じで、ペーパーによるフルスクラッチです。去年2000型や1900型を作ってみて、ペーパーでもプラ板とさほど変わらない強度が得られることがわかったので、700型はペーパー中心で製作していこうと考えています。

 ただ今日作った先頭車、スカートがないんですよね。実はスカートも取り付けるつもりで、Bトレのパーツを加工していたらものの見事に失敗(真っ二つに割れた!)してしまいました。でも700型にスカートなしは様にならないので、早急に何とかしようと思っています。(確かKATOあたりでパーツが出ていたような気がするのですが……)

 急行用の編成はさらにもう1本、去年から5000型を製作しています。こちらは2輌目の車体がほぼ完成、塗装待ちの状態になっています。そして今日はもう1輌、1300型の中間車、1352も完成させてしまいました。去年再チャレンジで製作した1311と1304に続き、近いうちに中間電動車を製作して4連で宇治線の運用に就かせたいと思っています(すでに窓抜きを始めかけています)。007 006

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京阪500型、モーターを交換しました。

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 2年ほど前(だったと思う)に京阪の500型を製作したのですが、これに合う動力ユニットがどうしても見つからなかったんですね。そこで強引ではありましたが鉄コレ用の12m級動力ユニットを切断、車体の長さに合わせて装着していました。そのせいかどうかはわかりませんが、走行状態が今一つパッとしなかったんですね。走ることは走るのですが、運転場を2~3周するとなぜか走りがぎこちなくなってしまう。そんなわけで完成してもあんまり活躍の場はありませんでした。

 ところが先頃、模型店で鉄コレ用動力ユニットの16m級というのを見つけたんです。これはいけるのでは……と購入して500型の車体と合わせてみたらまさにピッタリ! 走りも申し分なく快調そのものでした。本日4枚目の写真は先日製作した1700型による特急「まいこ号」との共演ですが、走らせていると1960年代の京阪も作ってみたくなってきました。流線型の1000型や1100型の他、2ドア時代の1300型なんかもいいですね。(またあらぬ方向へ進むのか…笑)

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特急・八瀬遊園  急行・岩倉

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 前回の古本話の続きですが、鉄道ピクトリアル1967年4月号と5月号に掲載された「私鉄車輛めぐり・京阪電気鉄道補遺」からちょっと面白い話を紹介したいと思います。

 同誌に掲載されている当時の京阪の路線略図(2枚目の写真です)ですが、そこに当時の計画線も紹介されています。一つは三条から出町柳までの鴨東線、もう一つは八幡町から分岐、交野線をクロスして大和田に至る路線、そして大和田から南下して荒本(東大阪市)に至る路線の3つです。

 鴨東線は別として、あとの2路線はほとんど知られていないのではないでしょうか? 八幡町~大和田の路線がどんなルートなのか、同誌にはただ「京阪平野を貫通して」としか書かれていないのでわかりませんが、これがもし実現していたら現在の京阪はどんな感じになっていたか想像してみるのも一興でしょう。例えば大和田駅などは構内配線がガラッと変わっているでしょうし、乗り換え駅ということで急行停車駅になっていたでしょうね。余談ですがこの路線図には計画線に中之島線の名前はありませんでした。

 ところで、今回のタイトルですが……。

 鴨東線が計画された頃、実は京阪と叡電が直通運転する予定だったことを皆さん憶えていらっしゃいますでしょうか? 当初の計画では三条で大阪よりの3輌(または4輌)を切り離し、京都よりの3輌で特急は八瀬遊園まで、また急行は岩倉まで直通することになっていました。かつて3000型に電気連結器がつけられていましたが、これは三条での増解結をスムーズに行えるようにするためだったそうです。さらに当時は八瀬遊園から比叡山の下をトンネルでぬけて堅田まで延長、淀屋橋から直通させる構想もあったそうです。ただこのためには出町柳駅を京阪と叡電の共同駅にしなければならず、叡電側にその資金がないという理由で立ち消えになってしまいました。こちらももし実現していたら出町柳駅は現在よりもっと大きな駅になっていたでしょうね、八瀬の遊園地も閉園せずに存続していたかも知れませんね。

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