ぶらり、チャリ旅~竹田街道に伏見線の面影を探す~
毎度ご乗車ありがとうございます。
先日、自転車で市電伏見線の跡を走ってきました。京都市電伏見線――実はこの竹田街道に市電が走っていたのを私は見たことがありません。そのため、当時の街の状況などは写真でしか知りませんが、今でも何か市電があった頃を思い出させるようなものが残っていないか探しながら走ってきました。
そして見つけたのが最初の写真です。これは住吉バス停付近にある材木会社ですが、市電健在の頃は正面の道路は信号のある交差点までで、その先は市電の専用軌道になっていました。そのため、この材木会社の入口は現在でも狭いほうの道に面しています。
2枚目の写真は濠川にかかる聚楽橋です。ここは元市電の専用軌道だったのを道路にした所ですが、竣工年月は昭和45年3月と、まさに伏見線廃止の月でした。市電はこの橋を渡ると、専用軌道のまま左にカーブして再び道路上を走っていたのですが、そのカーブ区間の現在の写真が3枚目です。ここでふと思ったのですが、カーブの内側にある平屋の家(写真右側の家です)、見たところかなり古く、伏見線健在の頃から存在していたと考えられます。でもそうだとすると、この数軒の家はいずれも専用軌道の前にあったのでしょうか? まさかそんなことはないと思うのですが、当時をご存知の方がいらっしゃいましたらご教示願いたいと思います。
伏見線が廃止されて40年近くになりますが、わずかながらでも市電のあった頃の面影を見つけることができたのは今回のチャリ旅の収穫でしたね。次は稲荷線の路線跡をたどってみたいと思っています。
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コメント
ご報告ありがとうございます。
伏見線は稲荷支線の19番しか乗ったことがなく、勧進橋以南は???ですが、乗っていれば面白い区間だったとおもいます。
15年くらい前に中書島まで歩いてみました。棒鼻から先がそれらしくなってきましたね。専用軌道を後に道路にした、というのがハッキリ分かります。民家と道路が段差があって合ってないんですね。普通の道路ではなかったです。京都市マークの境界標が立っていたり。
けっこう橋も多いのですが、なんとなく電車に合わせたように、勾配が緩くなっている。今となってはノンステップバスの運行に好都合かもしれませんが。
緩く、といえば民家も線路のカーブに合わせたように、曲がっていたのも、それらしかったです。肥後町のカーブの民家ですが、伏見線時代からのものと思えますが。
終点の中書島は京阪の駅の横でした。訪れた当時はそこまで市バスと京阪バスが乗り入れていて、ターンテーブルがあったのが何とも魅力的でした。バス趣味にのめっていったのもこの雰囲気が一因だったかも…。
投稿: クハ55071 | 2009年6月23日 (火) 01時55分
クハ55071様;
こんばんは。中書島のターンテーブルは私もよく憶えています。実は昭和51年頃、伏見線の跡を見るために京都駅から市バス81系統に乗ったことがあるのですが、当時この区間は81系統が日中約10分ヘッドだった他、82系統が20~30分ヘッドで運行されていました。現在は81系統のみ日中15~20分ヘッドと、30年前の半分ぐらいに減便されてますね。市バスといえば今でも昔の市電と全く同一経路をたどる系統がいくつかありますが、市電時代と運行回数を比較してみるのも面白いかも知れませんね。
投稿: 京洛電軌 | 2009年6月23日 (火) 19時50分
京洛電軌様、コメントありがとうございます。
ターンテーブルはなんか独特の雰囲気で写真でしか見たことのない根室拓殖鉄道の光景を連想してしまいました。メルヘンのような軽便の世界…あんがい身近なところにそれを感じることができました。
バスのターンテーブルといえばJR三雲駅前にもありました。水口営業所の古びた経年バスから近江の夕暮れをしみじみ味わいました。
最近、113系の撮影で三雲駅を訪れましたが、JRバスはコミニティーバスに替わり、ターンテーブルは撤去されていました。
投稿: クハ55071 | 2009年6月25日 (木) 19時36分
クハ55071様;
こんにちは。JRはもう何年もご無沙汰していますが(撮影に関しては)湘南色の113系も風前の灯といったところでしょうか。昔は何とも思わなかった113系のボックス席が最近は妙に懐かしく感じるようになりましたね。
投稿: 京洛電軌 | 2009年6月27日 (土) 17時23分
初めまして,市電881型です。
京都市民ですが,かつて伏見線に乗った事が無く
当時を色々と想像しています。
肥後町電停の手前でカーブ内側の平屋の家ですが・・・
家の前は軌道敷きの併用軌道区間で専用軌道では
ないように思います。
下記の”ひまわり写真館”さんのHPに該当区間の写真が
掲載されてます。
御参考になれば幸いです。
http://www.geocities.jp/himawari_syashinkan/kyouto-husimi-inari-1970-3.html
投稿: 市電881型 | 2009年8月 7日 (金) 14時03分
市電881型様;
初めまして。ようこそいらっしゃいました。
実は私もその後手持ちの資料をひっくり返してみたのですが、どうもあの家の前までが併用軌道で、専用軌道はその先からだったようです。つまり、肥後町側から見れば専用軌道はカーブの先端からだったと思われます。
それでは拙いブログですが、今後ともよろしくお願いします。
投稿: 京洛電軌 | 2009年8月 7日 (金) 22時55分
京洛電軌様
市電881型です。
こちらこそ宜しくお願いします。
御存知かもしれませんが,肥後町電停は
京都駅前方面と中書島方面では設置場所が
少しずれて位置していました。
”鉄道ファン半世紀にようこそ”さんのHP
に中書島方面の肥後町電停の写真が掲載されて
ます。
カーブの部分のみが専用軌道になっており,そこに
電停があります。
おもしろいですねぇー,でもなぜこの短いカーブの
部分を専用軌道で残したのでしょうか?
併用軌道にしてしまうと市電と車の動線がカーブ内側
で交錯してしまい事故がおこると判断したからなので
しょうか?
投稿: 市電881型 | 2009年8月 8日 (土) 15時41分
市電881型様;
これは各所に発表された数々の写真からの私の推測ですが……。
肥後町の専用軌道のカーブのすぐ外側に民家があって、竹田街道はその民家の先で右に折れ、再び市電の線路と合流していたようです。その後市電が廃止されてから、この民家のあった部分も含めて専用軌道が道路化されたのではないかと思います。おそらく道幅から考えて、この民家があるとバスの通行に支障があったからではないでしょうか?
投稿: 京洛電軌 | 2009年8月 8日 (土) 23時14分