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あれから40年

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 今から40年前の今日、京都の街から市電がなくなりました。もう京都でも市電を知っている人は少なくなって、市電の話ができなくなった(話をしてもわからない人が多くなった)のは時の流れとは言え寂しい限りです。

 当時の私も前年の河原町線、七条線廃止あたりから集中的に市電の撮影を続けてきました。そして全廃の夜は、烏丸車庫で最終の⑥と㉒の装飾電車(花電車ではありません。理由は後述します)を撮影した後、タクシーで京都駅へ先回りして折り返しの⑥を撮影しました。ただ当時の未熟さゆえにあまりいい写真は撮れませんでしたが……。

 ところで、今私は最後の市電を「花電車」ではなく「装飾電車」と書きましたが、実はこれには非常に悲しい理由があったんです。あまり書きたくない話ですが、市電の歴史を正しく残すためにもここでお話ししようと思います。

 実は全廃の一週間ぐらい前から交通局では造花や電飾などをつけた花電車を20輌程度走らせる計画を立てていました。赤字が極限に達していた市電でしたが、電飾にスポンサーなどをつけて、その広告収入で費用は賄えると考えていたようです。ところがその後市議会で「なくなる物に金をかけるのはもったいない」という批判が出て、花電車は中止になりました。それで結局は看板と花輪だけの装飾電車になったわけですが、考えてみればこの手の装飾は昔は選挙の前なんかにもつけられていましたからね……。

 長々と書いてしまいましたが、今後は消えた市電を模型で残していきたいと思っています。ちなみに現在、900型を製作しているのですが、詳細はまた追って発表します。

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