京都市電の話

上京区電車物語

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 京都市上京区役所で開催中の「上京区電車物語」に行って来ました。今年はこうした市電関連のイベントに参加する機会が多く、その都度主催者の方々と市電の話に花を咲かせてきましたが、今回も皆様と市電の話で盛り上がり、楽しい時間を過ごさせていただきました。中でも圧巻だったのが2枚目の写真の狭軌1型の特大模型で、特別に運転させてもらったのですがコントローラーがいつも使っている9mmゲージ用のそれとは違っていたので少々面食らいました。また14:00からの主催者様によるギャラリートークも興味深い内容で、京電の模型も作ってみたくなってしまいました(笑)

 最後に「何を今頃!」なんて言われそうな発見を一つ。
 今回展示されていた市電の系統板を見ていて初めて気付いたのですが、系統番号を記した円板と急行運転時の「急」の円板は同じ大きさだったんですね。若干小さめだと思っていたのでこれは意外でした(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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イブの夜のクリスマス・トラム

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 明日から12月、巷ではクリスマスムードが高まりつつありますが、今日はクリスマスにまつわる京都市電の話を書いてみたいと思います。

 昭和30年のクリスマス・イブの夜、京都市電では梅津線と稲荷線を除く全線で運転時間を午前2時頃まで延長しました。昭和30年12月22日付の京都新聞夕刊によりますと、当日の主要停留所の終電時刻は以下のようになっていました。

京都駅前(カッコ内は行先。以下同)
 東山線 1:15
 烏丸線 1:35
 大宮線 23:48(みぶ)
 河原町線 1:23(烏丸車庫) 1:30(銀閣寺)
 伏見線 1:15(中書島) 1:50(九条車庫)
 北野線 1:30

四条大宮
 東行き 1:13(百万遍)
 西行き 1:31(西大路四条)トロバス
 南行き 1:50(九条車庫)
 北行き 1:28(千本今出川)

四条河原町
 東行き 1:22(百万遍) 1:40(東山七条)
 西行き 1:18(千本今出川) 1:48(みぶ) 1:40(九条車庫)
 南行き 1:40(京都駅)
 北行き 1:18(千本北大路) 1:33(烏丸車庫) 1:40(銀閣寺)

烏丸車庫
 東行き 0:37(祇園) 1:17(百万遍) 1:39(高野)
 西行き 0:45(西大路七条) 1:39(千本今出川)
 南行き 0:52(内浜) 1:10(京都駅)

 この中で烏丸車庫南行きの0:52発は今出川経由の河原町線(下鴨線は未開通)、1:10発は烏丸線の時刻と思われます。また内浜は現在の七条河原町のことです。当時の各線の所要時間はわかりませんが、京都駅発1:15の中書島行きが折り返して九条車庫に入庫するのは午前2時をまわっていたのではないでしょうか。あと何故か京都駅前の西大路線の終発時刻が記載されていないのが気になるところです。ただこのクリスマス・トラム、なかなか粋な計らいだったと思いますが、実施されたのはこの年1回きりだったようで、後年の京都新聞にこのような計画が報道されることはありませんでした。

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伏見線冷遇疑惑?

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 今日は久しぶりに京都市電の話をしたいと思います。

 昭和37年3月9日付の京都新聞に寄せられた一伏見区民からの投書です。
「市電の伏見線を利用している者ですが、この線には旧型の電車しか走っていません。こんな電車に乗って中書島~河原町二条の長区間にたえるのは大変です。他の路線には新車が走っているのに、同じ料金でありながら伏見線だけを特別扱いするのはなぜですか」

 ここに出てくる「旧型の電車」とはもちろん500型のことですが、投書に対して九条車庫は「伏見線は最近利用者が急速度に増えているので、台数を増やす以外に大型車を走らせて輸送力を増さねばならない。今同事務所の大型車は500型が主力になっているので、やむを得ず同線に使っているわけで、決して差別待遇しているのではない」と回答していました。

 ただこの記事には1000型については全く触れられていませんでした。同型は500型より大型で車齢も若く、九条車庫にも配属されていました。このためもし1000型が伏見線に運用されていたらこのような投書はなかったと思われます。にもかかわらず同型が伏見線の運用に入ることはありませんでした。と言いますのも1000型は肥後町~西大手筋間に存在する急カーブを通過することが出来ず、伏見線は棒鼻までしか入線できなかったんですね。そこで500型が投入されることになったのですが、当時九条車庫に所属していた同型10輌のうち、朝ラッシュ時にはなんと8輌が伏見線で運用されていました。ちなみに夕方のラッシュ時には2輌運用されていましたが、昼間時の同線運用はなかったそうです。

 最後にこの記事で気になる記述がありました。
 交通局業務課では「近く新しい大型車を九条営業所に数台ふやす計画をしているので、当然これが古い車にかわって伏見線を走るようになるでしょう」といっています。
 当時の最新型車輌といえば700型ですが、そんなに大型とは言えないですし、ひょっとして何か新形式の計画でもあったんでしょうか? 

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高瀬川エリアに見るチンチン電車の痕跡

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 高瀬川・四季AIRで開催されている「高瀬川エリアに見るチンチン電車の痕跡」写真展に行って来ました。京電の貴重な写真もさることながら、主催者や来場された方々との話がはずんで、非常に楽しい時間を過ごさせていただきました。このような写真展に行くといつも思うことですが、今回も帰ってから市電の模型を作りたくなってしまいました(笑) N電の模型は1輌所有していますが、もう1輌あってもいいなって思っています。(尤も私の工作力ではオープンデッキのフルスクラッチは不可能に近いですが……)

(本日掲載の写真は本文とは関係ありません。悪しからず……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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まぼろしの「祇園行き」?(京都市電の話)

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 今日は久しぶりに京都市電の話を書いてみたいと思います。もっとも今回は子供の頃の個人的思い出話なので、資料性は全くありませんが(笑)

 市電の車内、運転席の後には電車路線図と終車時刻表が掲示されていました。昭和50年頃でしたが、この終車時刻表で気になっていたことが一つありました。西大路七条の南行きで、時刻は憶えていないのですが行先が「祇園」になっていたんですね。おそらく当時の㉒系統の最終だったと思うのですが、通常ここを通る㉒の行先は「九条車庫」か「百万遍」で、「ぎおん」ではありませんでした。またこの時刻表の終車が仮に祇園行きだったとしても、当時祇園に折り返し設備はなかったので終点に着いてからどうなるのか謎でした。残念ながら現地で実際に終車を見ることはできなかったのですが、ひょっとして最終の㉒だけが同地を「ぎおん」で通過していたのでしょうか? 今でもこの謎は心の片隅でくすぶっています。

 と言うことで本日の写真は製作中の京都市電600型です。詳細はまた別の機会に発表します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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市電が出会った街 京都 河原町丸太町

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 写真展『市電が出会った街 京都 河原町丸太町』に行って来ました。平日でしたが盛況で、主催者のお二方とも市電の話で盛り上がり、楽しい時間を過ごさせていただきました。展示されていた写真も市電を通して当時の街並みや生活が感じられて非常に素晴らしい作品ばかりでした。また昔の記念乗車券など貴重な資料も多数拝見することが出来て、本当に意義深い写真展でした。

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 この写真展を拝見させていただいて、改めてまた市電の模型を作りたくなりました。前回の拙ブログで紹介した1000型はこのほど完成させましたが、また日を改めて発表したいと思います。そしてこれからまた新たな市電車輌の製作を開始します。

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市電の音が聞こえる風景と現在

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 ひと・まち交流館京都で開催されている「今昔写真から見える京都の変遷~市電の音が聞こえる風景と現在~」に行って来ました。市電の写真と同じ場所の現在の様子を定点対比した写真展でしたが、その中で個人的に興味を惹かれた写真についてお話ししたいと思います。

 一つは千本北大路西側の渡り線を通過する⑳ぎおん行きの700型でした。⑳系統が千本北大路から西大路線へ向かう、つまり西へ行くことは知っていましたが、東行きの電停から出発していたとは初めて知りました。もともと千本北大路は西側にしか渡り線がなかったので、⑳系統が終点でどのように折り返していたのか気になっていたのが、ここで解消されました。

 もう一つは七条大橋にさしかかる⑥京都駅行きの1821でした。これは私の目が悪いせいかも知れませんが、ワンマンカーを示す朱帯や、方向幕上のワンマンカーの表示がないように見えたんですね。1800型のツーマン車は確か烏丸には配属されなかったと思うのですが、やっぱり私の見間違いでしょうか……。

 ともあれ今回の写真展を見て、また市電の模型を作りたくなってきました(笑)

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烏丸車庫優遇疑惑?

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 昭和37年9月29日付の京都新聞に、南区在住の大学生からこんな投書がありました。

「私は市電の丸太町線、烏丸線を利用して、大学に通っています。ところが錦林車庫所属の電車は新型の700型が大変少なく、他の車庫に多いのはどういうわけですか。中でも烏丸車庫に多いようです……」

 当時700型は43輌在籍しており、その内訳は九条10輌、烏丸20輌、みぶ8輌、錦林5輌と、確かに烏丸車庫に多く配属されていました。さらに同年度には700型が5輌増備されましたが、これも全て烏丸車庫に配属されました。しかも同車庫では700型の増備と引き換えにそれまで配属されていた600型をみぶへ、800型を九条へ、1000型を錦林へそれぞれ転属させてるんですね。つまり、烏丸車庫は自車庫に新車を入れるかわりに、他車庫へ在来車をまわしてたんですね。
 なぜ烏丸車庫にだけ新車が片寄るのか、交通局から明確な答はありませんでした。ただ「どの車庫の電車もほとんど市内全域を走るので、烏丸だけに新車が増えても市民サービスが特に不公平になるとは考えない」と説明されていました。

 この件とは全く別の話ですが、昭和40年代に市電がワンマン化された時、2000型、2600型、1900型は全て烏丸車庫に配属された一方、小型の1600型は一度も同車庫に配属されることはありませんでした。これも「優遇」と見ていいのでしょうか……。

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明治150年 京都の交通事始め

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 昨日は900型を完成させてから、梅小路公園市電展示室の企画展「京都の交通事始め」へ行って来ました。この種の企画展では毎回貴重な写真や切符の類を見られるのが非常に楽しみなんですが、今回もブルー塗装でワンマン運転中の2600型や、山鉾巡行の日の四条烏丸で架線を外した区間で止まってしまった700型を警察官や交通局係員が総出で押すシーンなど、興味深い写真がたくさんありました。その後市電広場も覗いてみましたが、先週末につけられていた廃止40周年の花輪は外されていました。
 この企画展を見て、また市電の模型を作りたくなりました。そこで保存車輌のディティール写真を撮影して帰りました。実はもうその日の夜から早速作り始めたんですが、詳しくはまた日を改めて報告したいと思います。

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 最後におまけの写真です。
 実は今日の午後、昔の市電の記事を調べに図書館へ行って来たんですが、岡崎公園の1860には廃止40周年の花輪がまだつけられていました。

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あれから40年

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 今から40年前の今日、京都の街から市電がなくなりました。もう京都でも市電を知っている人は少なくなって、市電の話ができなくなった(話をしてもわからない人が多くなった)のは時の流れとは言え寂しい限りです。

 当時の私も前年の河原町線、七条線廃止あたりから集中的に市電の撮影を続けてきました。そして全廃の夜は、烏丸車庫で最終の⑥と㉒の装飾電車(花電車ではありません。理由は後述します)を撮影した後、タクシーで京都駅へ先回りして折り返しの⑥を撮影しました。ただ当時の未熟さゆえにあまりいい写真は撮れませんでしたが……。

 ところで、今私は最後の市電を「花電車」ではなく「装飾電車」と書きましたが、実はこれには非常に悲しい理由があったんです。あまり書きたくない話ですが、市電の歴史を正しく残すためにもここでお話ししようと思います。

 実は全廃の一週間ぐらい前から交通局では造花や電飾などをつけた花電車を20輌程度走らせる計画を立てていました。赤字が極限に達していた市電でしたが、電飾にスポンサーなどをつけて、その広告収入で費用は賄えると考えていたようです。ところがその後市議会で「なくなる物に金をかけるのはもったいない」という批判が出て、花電車は中止になりました。それで結局は看板と花輪だけの装飾電車になったわけですが、考えてみればこの手の装飾は昔は選挙の前なんかにもつけられていましたからね……。

 長々と書いてしまいましたが、今後は消えた市電を模型で残していきたいと思っています。ちなみに現在、900型を製作しているのですが、詳細はまた追って発表します。

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