京都市電の話

埋もれていた市電の線路

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 後院通で市電線路の撤去作業をしていると聞いて本日見に行って来ました。道路中央で工事は続けられていましたが、線路を確認することは出来ませんでした。七条大橋の例もそうですが、まさか現在まで市電の線路が道路上に残っていたとは思いませんでした。実際、市電廃止後には各所で線路の撤去工事を目にしていましたから、もうすっかり線路は残っていないものだと思っていました。
 しかしながら今日この御院通の工事を見て思いました。この狭い道で廃止後に線路の撤去作業をしていたらその分長く交通の妨げになるのではないか。それなら手っ取り早く線路を埋めてしまったほうがいいのではないか。そう考えると狭い電車道、例えば千本中立売あたりなどは線路を埋めてしまったのではないか。もっとも千本線の廃止からもう50年近く経過しているので、その間に道路工事でも行われていたらその時点で撤去されていると思われますが……。

 ところで、今でも市電の線路が確実に埋まっていると思われる場所が一つあります。それは市バスの錦林車庫で、市電廃止の翌日からバスの車庫に転用されました。市電の廃止直前には車庫の留置線が全て併用軌道のような状態になっていましたので、おそらく廃止後すぐに市電車輌を他車庫へ移動させて、線路をアスファルトで埋めたのでしょう。おそらく現市バス車庫の敷地の下には線路がそのまま眠っているはずです。
 最後の写真はその廃止直前の錦林車庫です。不鮮明な写真ですが、全体にアスファルト舗装がされているのが分かると思います。

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市電最後の新線区間?

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 久しぶりに京都市電の話をしてみたいと思います。
 市電の新線建設は、昭和33年9月16日に開通した北野紙屋川町~白梅町間が最後でした。さらにトロバスも含めますと、昭和37年5月1日開業の梅津~松尾橋間が最後の新規開通でした。
 しかしながらそれより後、昭和38年にもわずかですが新線が建設されていたことはあまり知られていないようです。
 それは塩小路高倉の東から南への分岐線、つまり河原町通から伏見線に直通できる線路でした。從来伏見線へは京都駅側からしか分岐線がなく、河原町線から伏見線へ直通する場合は京都駅まで行ってスイッチバックするしかなく、これが相当なロスタイムになってたんですね。そこでこの分岐線が建設されたのですが、距離にしてわずか数十メートルとはいえ、実質的にはこれが市電最後の新線になったといってもいいと思います。これにより、河原町二条~中書島を走っていた⑱系統は、昭和38年4月20日から京都駅を経由せず塩小路高倉から伏見線に直通するようになりました。ただこの新線、完成からわずか6年余りで廃止になってしまったのは何とも残念でした。

 写真はこの新線建設を報道した昭和38年3月8日付の京都新聞のコピーです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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市電復活計画私論

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 昨8月29日付の京都新聞にこんな記事が掲載されていました。
 40年以上も前に廃止された京都市電には、今なお復活計画が存在しているというもので、失敗に終わりましたが2007年に今出川通で実施された社会実験などが紹介されていました。
 京都に市電を復活させようという意見は、これまでもあちこちで出ていますし、私もあったらいいなと思う一人ですが、結論を先に言いますと、現状では市電の復活は100%不可能だと思います。

 市電復活やLRTの導入を唱える方々は、その長所として環境面や建設費用の安さ(地下鉄に比べて)などを挙げています。また前例として、広島電鉄の例がよく出されています。これらは全て正解ではあるのですが、広電の場合、地元警察が全面的にバックアップしているんですよね。古い話ですが、昭和40年代、広電の軌道敷内の車の通行が禁止された時、警察にマイカー族から抗議が殺到したそうです。しかしこれに対して警察は「だったら車に乗らず電車に乗れ」と一蹴したんですね。ところが京都の場合、市電の廃止に一番積極的だったのが警察でしたから、もう全く話にならないんですね。
 ですからもし本当に京都に市電を復活させようとするなら、一番に行政、特に警察の意識を変えることが必要だと思います。特に京都は全体的に道幅が狭いので、軌道を敷設したらその分車の通れるスペースが少なくなるのは明白です。だからどうしよう……というよりも、だったら車の方を締め出したらいいじゃないか、ぐらいの強気な姿勢がないと復活は無理でしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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稲荷線の廃線跡を見に行きました

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 夏真っ盛り!ですね。
 例年ならこの暑さなどものともせずギラギラの太陽の下で撮影に歩き回るところですが、今年は事情が事情だけに外出もままならず、休日は眩しい日差しを恨めし気に見ながら模型をいじっておりました。しかしながら外へ出たい気持ちをどうしても抑えることが出来ず、前から行きたかった京都市電稲荷線の廃線跡に行って来ました。

 今年の初め頃に電停跡の改修工事で線路が出土した時は、これがそのまま遺跡として復元・保存されるのかと期待していましたが、現実はそう甘くないもので(笑)、それでもこういう形で小さいながらもここに市電が走っていた証が出来たのは嬉しいことです。電停跡のほうはすっかり整地されてしまい、昔の面影は全くなくなってしまってました。と思っていたら、片隅に停留所を縁取っていたブロックがわずかに残っていました(最後の写真です)。それからこれは気のせいかも知れませんが、整地された停留所跡を歩いていたら、ちょうど線路があった部分だけが気持ち低くなっているように思えたんですね。もちろん、私の気のせいでしょうけどね……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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まぼろしの⑭系統

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 先日製作しました京都市電900型につけた⑭系統の話をしてみたいと思います。

 ⑭系統は昭和27年12月1日、補助系統だった補五号系統の番号表示化によって登場しました。当初は西大路四条~千本北大路~烏丸車庫の系統でしたが、その後昭和30年1月16日に~高野~百万遍まで延長されました。当時の運転本数などは全く不明ですが、昔の『鉄道ピクトリアル』誌に掲載された昭和36年6月当時の系統図には、同系統は平日の7:00~9:00及び16:00~19:00のみの運転と記されていました。その後昭和38年6月20日の系統改正で廃止され、以後、⑭は欠番のままになりました。
 察するところ、⑭系統は終始影の薄い系統だったようですが、私の知る限り、同系統の写真を見たことがないし、系統板さえも見かけたことがないんですよね。これがタイトルの「まぼろし」の所以でもあるのですが、もし写真などお持ちの方がいらっしゃいましたら拝見させて頂きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大相撲九条車庫場所?

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 市電の車庫内にはどこも乗務員が勤務の合間に休憩できるスペースがあって、将棋や囲碁などができるようになってるのが一般的でした。これは乗務員の福利厚生の一環なんですが、九条車庫ではなんと相撲の土俵が設けられていました。

 昭和31年9月13日付の京都新聞によりますと、この土俵は市交通局労働組合の発案で作られたもので、夏から秋にかけての期間限定ではありましたが四本柱やぐらを組んだ本格的な土俵だったようです。乗務員のレクリエーションだけでなく、地域の少年補導委員会などからも使用の申し込みがあるなどの盛況ぶりで、同記事には市電をバックに相撲を取る乗務員と、それを観戦する乗務員の写真が掲載されていました。車庫内に相撲の土俵を作るなんて、他に例を見ないアイデアですが、当時の乗務員にとってはいい運動不足解消になっていたと思います。

 というわけで本日の写真ですが……
 令和のレイアウトの試運転風景です。本文とは全く関係ない写真ですみません(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ケンカの結末は……?(京電の話)

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 今日で2月も終わりですが、今月は京都電気鉄道が日本初の営業用電車を開通させた月で、さらに今年はその日本初の電車線が廃止になって50周年になります。そこで……というわけではありませんが、今日は開業当時の京電にまつわる話をしてみたいと思います。

 開業当時の京電は全線が単線で、電車の行き違いは途中何ヶ所かに設けられた離合線で行われていました。ところが故障など、何らかの事情で遅れが生じてしまうと単線上で出会ってしまうことがあったんですね。そうなると双方の運転手がそちらが下がれと譲らず、さらには双方の乗客までもが自分たちの乗っている電車の運転手に加担して争いに加わったそうです。これを「電車同士のケンカ」と言って、当時は喜劇のネタにもなったほど有名だったようですが、最近ふと思ったんです。

 このケンカ、最後はどうなったんでしょうか?

 やっぱり最終的にどちらかが折れてバックしたんでしょうか? 残念ながらこのケンカの結末に関する記述や資料は私の知る限り全くなく、実際どうだったのか今となっては全くの謎です。ただ「頭の体操」ではありませんが、どちらの電車も損をせず、平和的に解決する方法はあることはあります。さて、それはどんな方法でしょうか? 答えは次の機会にお話ししたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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伏見線を歩いて

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 京都市電稲荷電停跡から当時のレールが出土し、しかもこれが廃線跡として保存されるらしいという話を聞いて、先日行って来ました。
 ところが現地に着いて愕然としました。レールはコンクリートで埋められてわずかに顔を出しているに過ぎず、以前は残っていたタイルによる停留所の縁取りさえも消え去ろうとしていました。もともとこの工事は、疏水にかかる橋の改修工事の一環だったのですが、廃線跡の保存どころか、抹消しようとしているとしか思えませんでした。

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 それでも折角来たのだからと気を取り直して(?)伏見線の通っていた丹波橋あたりを歩いてみました。ここでびっくりしたのは、棒鼻からの専用軌道が併用軌道になる所にあった材木工場がいつの間にかなくなって、ドラッグストアになっていたんですね。あの材木工場は正門が狭い方の道路に面していて、それがかつて市電の専用軌道があったことを想起させる存在だったのですが、また一つ市電在りし日を偲ばせるものがなくなってしまいました。しかしながら伏見線丹波橋~肥後町間、現在のバス停でいうと西板橋近辺を歩いていると、線路もないのに何故か市電が走ってくるような錯覚を覚えたりしました。

 

 

 

 

 

 

 

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上京区電車物語

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 京都市上京区役所で開催中の「上京区電車物語」に行って来ました。今年はこうした市電関連のイベントに参加する機会が多く、その都度主催者の方々と市電の話に花を咲かせてきましたが、今回も皆様と市電の話で盛り上がり、楽しい時間を過ごさせていただきました。中でも圧巻だったのが2枚目の写真の狭軌1型の特大模型で、特別に運転させてもらったのですがコントローラーがいつも使っている9mmゲージ用のそれとは違っていたので少々面食らいました。また14:00からの主催者様によるギャラリートークも興味深い内容で、京電の模型も作ってみたくなってしまいました(笑)

 最後に「何を今頃!」なんて言われそうな発見を一つ。
 今回展示されていた市電の系統板を見ていて初めて気付いたのですが、系統番号を記した円板と急行運転時の「急」の円板は同じ大きさだったんですね。若干小さめだと思っていたのでこれは意外でした(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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イブの夜のクリスマス・トラム

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毎度ご乗車ありがとうございます。

 明日から12月、巷ではクリスマスムードが高まりつつありますが、今日はクリスマスにまつわる京都市電の話を書いてみたいと思います。

 昭和30年のクリスマス・イブの夜、京都市電では梅津線と稲荷線を除く全線で運転時間を午前2時頃まで延長しました。昭和30年12月22日付の京都新聞夕刊によりますと、当日の主要停留所の終電時刻は以下のようになっていました。

京都駅前(カッコ内は行先。以下同)
 東山線 1:15
 烏丸線 1:35
 大宮線 23:48(みぶ)
 河原町線 1:23(烏丸車庫) 1:30(銀閣寺)
 伏見線 1:15(中書島) 1:50(九条車庫)
 北野線 1:30

四条大宮
 東行き 1:13(百万遍)
 西行き 1:31(西大路四条)トロバス
 南行き 1:50(九条車庫)
 北行き 1:28(千本今出川)

四条河原町
 東行き 1:22(百万遍) 1:40(東山七条)
 西行き 1:18(千本今出川) 1:48(みぶ) 1:40(九条車庫)
 南行き 1:40(京都駅)
 北行き 1:18(千本北大路) 1:33(烏丸車庫) 1:40(銀閣寺)

烏丸車庫
 東行き 0:37(祇園) 1:17(百万遍) 1:39(高野)
 西行き 0:45(西大路七条) 1:39(千本今出川)
 南行き 0:52(内浜) 1:10(京都駅)

 この中で烏丸車庫南行きの0:52発は今出川経由の河原町線(下鴨線は未開通)、1:10発は烏丸線の時刻と思われます。また内浜は現在の七条河原町のことです。当時の各線の所要時間はわかりませんが、京都駅発1:15の中書島行きが折り返して九条車庫に入庫するのは午前2時をまわっていたのではないでしょうか。あと何故か京都駅前の西大路線の終発時刻が記載されていないのが気になるところです。ただこのクリスマス・トラム、なかなか粋な計らいだったと思いますが、実施されたのはこの年1回きりだったようで、後年の京都新聞にこのような計画が報道されることはありませんでした。

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